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歴史の「起きなかったこと」に学ぶ

もともとは、このエントリ(歴史に学ばない国なのか)に書いたように、
isologueからなのですが、
歴史の「IF」に学ぶ行為を考えていました。

100年に一度という言葉で「免罪符」にしてないか
100年に一度の思考停止

今日、内田センセイのブログで,教科書会社に没にされた「小学生向けの原稿」で、
(この没にされた経緯もまた、教科書会社のダメップリを示しているのですが、それは後述)
「もしも歴史が」と言うタイトルの文章を載せている。

小学生にはむずかしい文章:内田樹の研究室
>でも、せっかく書いたものであるから、その原稿をここに公開して、諸賢のご高覧に供したいと思う。

本文は、そちらで読んでいただくとして。

たとえば
>過去の「(起こってもよかったのに)起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするからです(解剖学的にはどうか知りませんけれど)。

とか。

>歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。

と言うあたりが、私の琴線に触れましたね。

考え続けることの大事さを、子供に伝える文章に対して
「小学生には難しすぎる」と教科書会社の編集会議で判断するおろかさ。

小学生に読ませてもいないうちに「小学生には難しい」と判断する大人とは、
小学生で食べているくせに、小学生を軽んじているとしか思えない。

きっと、今の小学生は、その編集会議に出ている人たちが小学生だったときよりも、
その人たちの頭の中に住んでいる「架空の小学生」よりも、
リアルに「賢い」に違いないと私は思う。

だって、ずっと生きていくのが大変だもの。
生きていくのが大変だと、その大変さ加減とか、大変な部分に応じて適応力が上がる。
今の小学生は、読み取る能力は高い。読み取らないと生きていけないからだ。
だから、難しい内容(抽象度が高い)がやさしい言葉で書かれているものを読み解くのは、
昔の子供よりも優れているに違いないと、私は思っている。

ただ、具体的な「言葉以外のチカラ」とか、「無闇なものに出会った経験値」が低い。
それが「生きる力」とやらを下げている。

そんな風に理解している。

子供に「もしも」を導入してやらんでどうするのだ。
話がずれた。


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とんちんかんにはなりたくない…

>きっと、今の小学生は、その編集会議に出ている人たちが小学生だったときよりも、その人たちの頭の中に住んでいる「架空の小学生」よりも、リアルに「賢い」に違いないと私は思う。
>だって、ずっと生きていくのが大変だもの。

このことに気がついていない「とんちんかん」なおとなが多いのも、デジタルネイティブな小学生にとってはかなり「生きにくい」のではないかと感じます。

そうですよね

デジタルネイティブでスものね。
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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