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トルストイは正しかったか?

夕べは、人生の師匠と食事。青山一丁目の「能代」。
おまかせで、ブリ大根、サンマの塩焼き、きりたんぽなどいただく。

師匠は、最近、香港に住む娘夫婦のところに行って孫に日本語を教えるのが楽しくて仕方がない。

師匠の娘さんはニューヨーク留学中に香港人セレブの息子と知り合い結婚した。
今、香港セレブ社会で暮らしている。香港では、英語、広東語、マンダリン(北京語)が飛び交い、そこに日本語も混じって、孫娘は言葉が遅れているらしい。

でも、きっと、突然マルチリンガルになる前の助走期のような物で、心配するほどではないようだ。

その席で「トルストイは、幸せな家は似ているが、不幸な家庭はとりどりに不幸である」といったけど、ほんとうか? という話になった。

今の時代「不幸」はなんだかんだ言って「貧乏」に起因しているのではないか。
トルストイの頃は貧乏のあり方がとりどりだったかもしれないが、それらは結局、貧困が原因であり問題であったことは、トルストイの小説を読めばわかる。

その意味で言うと、今は、「不幸のあり方は似ているが、幸福のあり方はそれぞれなのではないか」という話に落ち着いた。
幸福は細やかに違う。富の感じ方が違うように、幸福の感じ方も違うのではないだろうか。

トルストイはまた、「人間に最大の幸福をもたらす感情をすべての人間は知っている。その感情は、愛である。」とも言っている。

幸福な感情が「愛」であるならば、いまの師匠の幸福は、「孫への愛、娘への愛」に起因しているのは間違いない。そして、その娘の幸福は、夫やその家族からの愛、そして裕福であることに起因している。

愛があれば貧乏でもなどと、若いときは思いがちだけど、貧乏はやはり不幸である。
特に資本主義社会において、金がないというのは、決定的である。

貧乏でも不幸ではないのは、それが貧乏であることを知らない状況にあるときだ。

昭和30年代が幸福だったのは、貧乏だったけど、貧乏であると思っていなかったからだろう。「三丁目の夕日」や、「自虐の唄」を見て喜ぶのは、今貧乏でも不幸でもない人たちだ。「あのころは良かった」「あれも幸せだった」本当だろうか。

誰が、あのころに戻りたいだろうか。

もし、本当に戻りたいと思うならば、二酸化炭素を排出する生活をやめられるのではないだろうか。

話がずれてしまった。

トルストイは正しかった。でも、今は、ちょっと違う、そう感じた夜だった。

コメント一覧

■  [編集・削除]

「人は愛ゆえに悩み苦しむ」と言った人も居りましたな〜。
裕福であるからと言って幸福であるとは限らず、貧乏であるからと言って不幸とも限らない。「貧乏人には苦労が有るが、金持ちには不幸が有る」という人も居りました。
金持ちに憧れる貧乏人も知っていますが、不幸である事も自覚できない金持ちも知っております。諸行無常、色即是空…

2007.10.07 posted by 一角

■ ありがとうございます [編集・削除]

一角様>コメントありがとうございます。
幸福のかたちは様々ですよね。金持ちであるがゆえの不幸は、当然あるでしょう。人生は平等なのですから。でも、その不幸は持った事がない人には味わえない不幸です。持ってない不幸に比べれば、現代ではたいしたことではない。そんな気もします。

2007.10.08 posted by

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