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ベビーカー問題その3

ベビーカーについて考えるのも最後にしましょう。

子どものしつけ、教育に関する悪影響について考えます。

少し大きくなって目が見えてくると、子どもは自分の視界に入るものを追うようになります。そのとき、ベビーカーに乗っている子どもにとっては、自分が前にいて、後ろから親が押すかたちになります。

この状況が、子どもの教育にとってさらに悪い事は、犬のしつけに悩んでいる方にはおわかりになるのではないでしょうか。

犬のしつけの基本は、散歩の時に飼い主より前に出さない事です。
まだ人間として未完成の子どもは、動物に近いわけですから、しつけも動物に近い理屈が有効な場合が多いのです。ここも議論があるところでしょうけど。

それで、前にいて行き先を命令しているベビーカーの子どもは、親に君臨しているわけです。実際には親が動かしているのですが、子どもからすれば「自分のために」奉仕しているという、とてもわかりやすい図になります。その姿は、本当は親の力無くしては動けない弱い自分を感じる事のない、「全能性」を感じる図です。

子どもというのは、えてして全能性(すべてが自分の思い通りになる)を感じているもので、それを修正していく、つまり自分の思い通りにならないものがある事を学ぶ事で、社会化されていくわけです。その象徴が父親であり、故に父親に恐怖と反発を感じるエディプスコンプレックスが生じるわけです。

ところが、ベビーカーを押している親と指図している子どもという関係は、親にありがたみを感じる図とはいえません。
まさに、親子関係の崩壊を予兆させる姿なのです。

しかも、ベビーカーを動かしている人は、まわりの人に対して、理不尽にスペースを要求します。
無理にエレベーターに乗ってきたり、電車にベビーカー毎乗り込んだりすると、大人と子どもの二人分のスペース以上に場所を取ります。それを回りに強要するわけです。それはすべて、ベビーカーに乗っている王子様・王女様のためです。回りの配慮などは、カバーの中にいる王子様・王女様からは見えないでしょうし、感じられないでしょう。
子どもを抱いていたならば、子どもは回りとの接触から不快と共に他人との距離や社会の存在を感じるでしょう。

全能性を失うタイミングを逃した子どもたちが、どこで挫折するのか。ベビーカーに乗っている自分は、本当は親がいなければ、自分一人では社会を渡っていけない存在である事をいつ知るのか。

親がどれだけ苦労してベビーカーを押しているのか知らない子どもたちは、自分は勝手に大きくなったように振る舞うでしょう。親が楽していたと罵るかもしれません。おんぶやだっこを自分でしない親は、ベビーカーが現代版の乳母日傘(おんばひがさ)だと、後々知る事になるのです。

ベビーカーは、利用する人には便利でしょうが、育児にも社会的にも大きな問題をはらんでいるのです。

現代の親子にベビーカーを使うなとは言えませんが、社会通念から行っても限定すべきです。少なくても乗り物にそのまま乗るのはやめていただきたい。邪魔です。それだけのスペースフィーを払っているわけではないのですから。

昔、子どもが席に座ると、半額なんだから立ってなさいといわれました。フィーとスペースというのは引き替えに得るものだと教えるのも大人の役目でしょう。ベビーカーが別料金でない以上、たたんで乗ってもらえませんか。

そんな事も思ってしまうのです。
長々と書きましたが、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

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