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音が鳴っていないときに、笑いが起こる:STOMP

今日は、初日のSTOMP JAPAN TOUR 2008を池袋/芸術劇場まで見に行ってきました。

チケットありがとう! みえちゃん

結論から。
いやあ、楽しかった。第一級のエンターテインメントでした。

ストンプと言えば、モップでのパフォーマンスが有名です。
オープニングは、モップで裏切らないスタート。

でも、その後しばらく、生身の演目が続きます。
タップ(足踏み)とクラップ(拍手)とスナップ(指鳴らし)で構築されたシーンは、
音と音の間で、聞いているこちらの体の底から熱いものがわいてきます。

打楽器系の面白さもあるのですが、むしろ、演目の中心にあるのは
このタップの技術ではないかと思いました。

人間の体が自分自身を使って打ち鳴らす音は、聞いている体に響きます。
大きなバケツやタイヤチューブやドラム缶の重低音が腹に響くのも快感ですが、
思わず自分の体がこまかく動いてしまうような生身の演目が私は好きでした。

そして、ストンプの舞台にないのは「言葉」。
音と動きだけで、見るものを巻き混み、笑わせ、感動させる。
ノンヴァーバルコミュニケーションの巧みさ。

さとなおさんがエントリ(ひとりの強い想い)の中で
>日本人って(ボクを含めて)言葉に頼るコミュニケーションをとる。きっと、もっとノンバーバルな、つまり「言葉の壁がない表現」をしていかないといけないのだろう。

と指摘していたことを思い出す。

日本でも海外で大人気のグループはたいてい「ノンヴァーバルコミュニケーション」で
人気を博している。
たとえば、マイムの世界では「がーまるちょば」。
この人たちも、もとはさとなおさんのブログで知ったような気がするけど、
本当にすばらしい。最近はソトコトのCMで見た人も多いのでは?

そして、なぜかストンプを見ながら北野武のことを考えていた。

北野武の映画が海外で絶賛され、日本で客入りがいまいちなのは、
彼の映画が「ノンヴァーバルコミュニケーション」を意識したものだからではないのか、
と考えたのだ。座頭市の下駄タップはもとより、彼の映画では台詞で笑わせるよりも、
映像で感じさせ、音のないところで台詞を思い出させる。
耳が聞こえない主人公を出した映画もあった。

それが、海外で理解されやすく、日本で大衆化しない理由ではないだろうか。

喜劇人としてのビートたけしが徹底して「言葉」の人であったのに対して、
映画人としての北野武は、徹底して「肉体」の人であることが面白い。

そしてもう一人喜劇人を思い出していた。
クレイジーキャッツのハナ肇。
彼は、クレイジーが演奏する時はドラムスだったのだけど
(ここから説明しないとだめだよなあ)
ドラムをたたいているうちに、どんどんスティックでいろいろ叩きながら前に出てきて、
最後は植木等が歌っているマイクスタンドをたたきながら、だんだん上に上がってくる。
と言うギャグがあったんデスよ、お客さん。

これも、たたいているときではなく、たたき終わった後の間に笑いがあった。
それを、ストンプの笑いの間を見ていて思い出した。

音と音の間に「笑い」がある。そこに世界がある。そんなことを思った。

関連エントリ
世界中で踊る男になんだかじんわり


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