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最小不幸社会よりも、幸福の芽を探そう

菅直人首相が、就任時に施政方針演説で「最小不幸社会」というスローガンを立てたのをご記憶でしょうか?

でも、菅さんが「最小不幸社会」と言ったのはもっと前で、2003年の民主党メルマガで述べていました。

民主党メールマガジン
DP-MAIL 第116号 2003年10月9日

編集・発行/民主党広報・宣伝委員会

>私は、政治の目標は「最小不幸社会の実現」と考えています。国民の中には、
「不幸」に遭遇している人がいます。そして、人々の「不幸」になる原因は様々
です。その原因を政治の力、つまり「権力」で取り除けるものはできるだけ取
り除き、不幸を最小化すること、それが政治の目標だと思います。
 
なぜ「最大幸福」と言わないで「最小不幸」というかと言えば、病気や貧困と
いった不幸の原因は、相当程度政治の力で取り除くことができますが、「幸福」
のかなりの部分は、恋愛や美意識といった政治という「権力」が関与すべきで
ない分野の問題と考えるからです。一部の人が無理に「幸福」を押し付けよう
として権力を使うと、そこには一種の強制や独裁が生まれます。政治権力は、
人の生死をも左右する強制力を伴うものだけに、その行使は人々の「不幸」の
原因を最小化することを目標とすべきであり、美意識のような個人的選好に属
する「価値」の実現を目標とすべきでないというのが、私の政治に対する基本
的哲学です。


びっくりしました。
こんな前から言っているのに、施政方針演説まで気がつかない、というか話題になってないなんて。

最小不幸社会@菅直人公式サイト
>2003年10月 2日 00:00 :
昨日の予算委員会で私の政治哲学として「最小不幸社会」という考え方を披露した。政治の目標は人々の不幸を最小化する事という意味。私がこの言葉を使い始めたのは20代の学生時代から。今回の民主党マニフェストでも使う予定。


20代から使っているオリジナルな言葉だそうですが、
この実現のために政治家として頑張ってきたんですね菅さんは。

それにしても野党というのは寂しいものですね。
だから、与党になって、自分の言葉が報道されるのが嬉しくて楽しくて仕方が無いのでしょう。

たとえ、それが「個人の発言」であっても新聞では一面だし、TVのニュースではもちきりだし。
野党の代表だった頃には考えられない持て囃し方です。

ダボスで響いた「開国」「絆」「最小不幸社会」@KAN-FULL-BLOG
>《最小不幸社会》という言葉も、海外で初披露した。“The Least Unhappiness”という耳慣れない表現が理解してもらえるか少し心配だったが、ベンサムの「最大多数の最大幸福」を前置きで述べてから、きちんと意味を説明して話したところ、大きな反響があった。最小不幸社会という言葉は私が若い頃から使ってきたオリジナルな言葉だが、逆にそのことが、好感をもって受け入れられることになったようだ。

海外でも披露しちゃっているようです。
当然、ベンサムの話をしないとナンノコッチャになるわけですが、
本当に「哲学的」な言葉だと思われたんでしょうか?
まあ、哲学的であって、政治的な実現可能性については議論していないのかもしれません。

そしていま、首相として辞任期限を設けずに「やめるから頑張る」と言っている菅さんは
「最小不幸社会」を実現するために、まず「最大多数の不幸」を作っているようにすら見える。
「最大多数の不幸」を減らしていく作業はすべて「最小不幸社会」に向かう道になりますからね。

「不幸を減らす」という作業が政治家のできることだと信じているようですが、
菅さんはトルストイはご存知なのでしょうか?

関連エントリ:トルストイは正しかったか?

トルストイは、「幸せな家は似ているが、不幸な家庭はとりどりに不幸である」と言っています。

つまり不幸の原因は家庭により違うが、幸福はある程度共通するわけです。
さらに言えば、不幸を取り除くことで幸福になるとは限らない。
他人から見れば不幸の原因がたくさんある家庭でも、一家が幸福を感じていることはあるわけです。

それを、あなたは不幸だからと決めつけて、お金を挙げることが最小不幸社会なのでしょうか?

この辺の議論は、多くの人がしているので深くは追求しませんが、
今度の東日本大震災の被災者に対しても、
不幸でない程度の補助をすることが優先していて、
幸福になるような試みを政府がすることはないように見えます。
きっとそれは、ボランティアの仕事だと考えているのでしょう。

政府と連動して活動する助け合いジャパンに関わる人達が、
「幸福」を感じられるような時間を作ったり、
仮設住宅で少しでも幸福に過ごせるようにと行っている姿を見ると
政府の活動に欠落している部分を埋めているのだなと思います。

それはひとつの実践の姿として素晴らしいと思うのですが、
一方で「不幸」に目を向けるばかりで、
「幸福」を目指さない政府の姿勢が気になって仕方がない。

その姿勢が、さらなる不幸を招いているような気がしてしまうのです。

不幸をなくすことも重要でしょうが、どうやれば人は幸福になるかという視点が
復旧から復興へと進む今後の展望には必要ではないかと思えるのです。

最小不幸社会は、運動のスローガンとしては正しそうに見えるけども
その活動の先が楽しそうに見えない。

活力がみなぎってくる感じがない。

やはり人間は、幸福を目指すエネルギーで動くのではないでしょうか。
その活力を奪うのが「最小不幸社会」というスローガンに思えてくるのです。

菅さんの言葉のセンスがないことは、この間いろいろな発言で思うところですが、
その原点は、この「最小不幸社会」にあったのだと改めて思った次第です。

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fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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