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50にして惑う(不惑を過ぎたからかもしれない)

50歳を目前として、何かを本格的に学びたいと思うひとが多いようだ。

友人で、癌になったこともあるけど(2年間の定期治療で完治した)体について学び直した人がいる。

東洋医学になるのか、整体を学び、自分の体の奥底を知ることになったらしい。
他人の体を預かるには自分は向いていないと、整体を本業にするつもりはないのだそうだが
そこで、師匠に徹底的に指導された経験が、いま、何か新たなチャレンジに、彼を向かわせている。

別の友人は、去年からバレエスタジオに通っている。
49の手習いというか、本格的なバーレッスンなどをしているらしい。
しかも、最近男性の受講者は増えており、そうした動きがテレビで取材されているという。
昨日も、夜のニュースバラエティ番組で彼が習っているスタジオのレポートが放送されたらしい。
もともとエクササイズが好きで、30代の頃には、某ジムの会員として、
ある先生の追っかけをやっていたくらいなので体を動かすことが好きなのだろうけど、
本格的なバレエを習う快感は、エクササイズの時とは全く違ったものだそうだ。

私自身も、師匠について学びたい気持ちがある。
私は、勇気もきっかけもないままにだらだらと生きているので、
何かを習うことにはなっていないけど、このままではいけないという気だけは、十分にある。

体をいじめたり、根性を養ったりするのは本当に嫌なので、
何かを習うことには向いていないのだけど、
好きなゴルフをもう少し何とかしたいとか、ヨガや整体にも興味がある。

なぜ、50を目前にして「習いたい(しかも本格的に)」という欲求が湧くのだろうか?
そんな疑問を持っていたところ、今日、さとなおさんのブログを読んで、少しわかった気がする。

歴史の縮図を最短で再体験する@さなメモ
>それにしても「勉強したいなぁ」と思う。
先人たちが苦労して辿った細道に実存をねじこんで、この身で再体験したい。50歳を迎える今年、その必要性をひしひしと感じている。



内田樹先生の最終講義を聞いた当たりから続く、さとなおさんの思考の到達点は
「勉強したいなあ」だった。
アレだけの結果を出し、思考を続け、本を書き(しかも売れて)
本業でも最先端を行っている、(新・生活者消費行動モデル概念『SIPS』について
その人が、「勉強したいなあ」である。

関連エントリ:型があるから「型やぶり」がある@さなメモ
>当初は理不尽とさえ思えたそういう「型」に「自分自身の実存をねじこんで」いく。そこで何年も我慢して「型」に自分を合わせていく。実に狭っくるしいし窮屈だ。でも、それをしたものにだけ、眺望が開ける場所への扉が現れる。


多分人一倍本も読み、議論もし、文化にも触れているからこそ、
自分が「本格的に学んでいない」恐怖を感じているのだろうな。
何もかもが「我流」である恐怖。
誰かに免状を貰えるようなものをやっていないということは、
ちゃんと認めてもらっていないような気がするものなのだ。
まあ、誰に認めてもらいたいというわけではないけども、
誰かが認めてくれるようなジャンルにいるわけでもないけども
漠然と、フワフワとしているような不安というのか。

昔は、そういう心の動きを「地に足が付いてない」とか言ったんだろうけど、
「型に沿ってない」と言い換えてもいいかもしれない。

私の知人が習ったものが、二つとも昔からの「型」に沿った物であることは偶然ではないだろう。
彼らは、知らずうちに「型」に沿う快楽に寄ったのではないだろうか?

型があることを知っていても、時代の気分の中で型を否定して生きてきた世代として
改めて「型」がある強みと出会うのが、人生を折り返した50歳なのかもしれない。

>当たり前だけど、自分ひとりで長い歴史上の天才たちの足跡を越えるのは無理なのだ。
だからそれをまずコンパクトに凝縮された縮図として学ぶ。
それが「型」であり、テクスト(本、教科書)なのだろう。


無手勝流でやってこられたのは、
多分、高度成長という「新しいことばっかり」の時代に生まれた幸運だったのだけど
この「停滞が普通」の時代の中で、これを打破したり、グッと堪らえたりするには
長い時代を生き抜いた「型」に沿うことが必要なのかもしれない。

>「こんな時間の無駄みたいなことはしたくない」「自分はもっとこういうことがしたい」「こういうアイデアを持っている」とかいうのも大切だけど、創作料理的に世の中に出ておいしい料理を作り続けるのは並大抵ではない。

さとなおさんが、言うとおり。
僕たち世代はまだ、創作料理的でもなんとか、ここまで生きられた。
(さとなおさんが創作料理的だと言っているわけではないから、誤解のないように)

でも、これからは、新しい才能が時代に花開くのを手伝う側に回る年齢。
新しい才能に、「型」は大事だよ、と言ってあげられるかどうかも問われるような気がする。

もう一度、お茶を習いに行きたいな。
アレは良い体験だったし。
でも、むやみにえばる師匠に出会いたくないし、免状のために無駄にカネがかかるのは嫌だなあ。

こういう事言っているのがダメなんだろうか?

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No title

言ってるのがだめなんじゃなくて、言ってるだけなのがだめなんじゃない?

そうですね

buuさま>その通り。
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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