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研究者は自分の研究の立ち位置を知るべき

事業仕分けのせいか、研究者の現状に注目が「少し」集まっている。

この機に乗じてやるべきは、署名を集めたり、文科省に訴えたりすることではなく、
社会と自分の関係を再構築することではないだろうか。

もともとの誤解は「研究は社会の役に立つ」という
予算をとるための誤謬が広まったところから始まっている。

研究が「社会の役に立つもの」でなければならないというのは、いつごろから言い出されたのか。
研究者にとって研究は「役に立つ」というところから遠いほど「尊い」ものだったはずが、
研究者自身まで「役に立つから」と言って「カネをくれ」というようになってしまった。

それが、今回の「役に立たないなら予算は無し」という
仕打ちにつながっていることは私なぞが言うまでもない。

だいたい、科学は役に立つものではなく、
役に立つかどうか分からないけど「自然を知る」ためにあるのだ。
それを「役に立てる」技術者や企業の存在が尊いと考えればよいのであって、
「特許」とか「知財」とかを科学者に義務付けるかのような動きが間違っているのだ。
それは別の人がやるべきことで、何でもひとりの才能に任せてはかえって危ない。

何故か日本では「ある才能」に恵まれている人に何でもまかせる風潮がある。
その才能とは関係の無いことまで「できるはず」と思い込むのはなぜなんだろう。
経済評論家に犯罪者の気持ちがわかるとは思えないのにコメントさせたりとか。

今、科学者及び研究者は(この違いも良くわからないけど)
やはりまず自分の研究について考えるべきときで、
その考え方として、立ち位置を考えるのが正しいのではないか。

その軸としてはいろいろあって
・科学史的立ち位置:科学の歴史の中でどういうものか
・社会科学的立ち位置:自然科学のなかだけではなく、社会との関係でどういう影響が考えられるのか
・専門の中での立ち位置:自分の分野の中でどういう影響があるのか
・研究室の中での立ち位置:自分のボスや同僚との間の関係
・学会の中での立ち位置:学会という範囲での周辺分野との影響力
・自分史的立ち位置:子どもができたときに誇れるか、語れるか

まあ、自分の今、というポジションを俯瞰して、時間軸と社会軸は持って欲しい。
それは、役に立つということではなく、どういう影響力を持てるか、他人に誇れるか。
自分の研究は必ず過去の人々の積み重ねの上にある。
それをどう広げるのか、深めるのか、飛び越えるのか。

自分を揺らがせるような影響力を与える人に(たいていボスだろうけど)、
自分も何かの影響を与えるような力を付けているかどうかを考えて対応すると良いのではないか。

どういう状況になっても、科学は続いていく。
日本の科学が途切れることはない。
分野が細くなったり、世界の中で競争力がなくなっても、
科学を志す人は必ず出てくると信じている。

日本人はそれだけの「不思議な力」を持っているのだ。
科学は西欧だけのものではないことを証明した国なのだから。

そこを信じているので、国の支援がどうなろうと怖くはないけど
科学者自身が「変質」していく可能性の方が怖い。

誰の金でも続けられる「したたかさ」と、
どんな装置でも新しい発見を生む「しなやかさ」を持っているのが、
日本の研究者の歴史だと思う。

それをもう一度思い出して、研究にあたって欲しい。

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fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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