こういう記事を読むと、反射的に反論を考えたくなる。
【オピニオン】新卒者のみなさん、私は君たちを採用しないだろう@THE WALL STREET JOURNAL「釣り」気味のタイトルだが、示唆するものは多い。
IT系で活躍しているという筆者は、大学を卒業するみなさんへ、とはじめて、こう書く。
私はみなさんにとって、憧れの上司かもしれない。私はデジタル分野で成長著しい、素晴らしい企業を経営している。仕事は面白いし、やり甲斐がある。 しかし、残念なニュースをお知らせしなければならない。それは私がおそらく君たちを採用しないだろう、ということだ。
そして、その理由として、続ける。
我が社に空いているポストがないから、というわけではない。それどころか、私は才能のある新しい社員を常に探している。適切な技能を身につけた人が私のオフィスにやってきたら、魅力的なオファーを手にオフィスから出てくることになるだろう。問題は、適切な技能を持った人材を見つけることが非常に難しいということだ。こんなことを言って申し訳ないのだが、大学を卒業する君たちはおそらくそのような技能を持っていない。
アメリカは6月が卒業シーズンだから、日本で言えば、3月に書くネタだろう。
新卒生の能力不足と、それは個人の問題ではなく、構造的な問題であることを、大学までのカリキュラムの不足を指摘して、もっと【実用的な学問を】とか言い出す話だ。
社会が必要としている人材を大学は養成していないと嘆くわけだ。
でもチョット待って欲しい。大学は企業の人材養成機関なのか?わかっている。こういう問いを掲げるというのは、ブログによくある手法でもある。
だから、それだけを言うつもりは、私にはない。
この記事が1つだけ良いところは、社会改善の話に落とさずに、個人が出来る事を提案していることだ。
一般の人にあるのは情報システムの仕組みを知る能力だ。そういう知識があれば、他の人とシステムについて議論するときに私たちは役立つ存在になれる。
この記事を取り上げようと思ったのは、この点だ。
メディアやテクノロジー、またはそれに関連する分野で働きたければ、今年の夏の間に基本的なコンピューター言語を習得することを目指せ。助けてくれるサービスはたくさんある。無料のサービスもあるし、手ごろな価格で利用できるものもある。
これは、アメリカだけの話ではなく、日本でも共通の話だと思う。
日本人のビジネスマンは、プログラミングについて無知すぎる場合が多い。
そして困るのは、文系だからとか、専門家の仕事だからと言った意味のない理由をつけて「知らなくてよい」と開き直ることである。
デザインとプログラミングに関する知識は、今後ビジネスで必須の知識になると、私は考えている。
以前書いた連載記事でも、この点を意識して書いている(
このエントリとか)
世界を生み出す知識と世界を構築する知識だからだ。
特にプログラミングというのが、どういうものか。
どういう風にして世界を構築していくのかを知ることは、今後必ず必要になるし、知っている人と知らない人では大きく差がついてしまうだろうと思う。
それはすでにビジネスの世界で起きている「差」でもある。
社長が、デザインやプログラミングに「理解」(及び知識)を持っている企業が伸び、そうでない企業は停滞している。
そういう企業の代表が、ユニクロであり、ローソンであり、楽天であり、ソフトバンクである。
ただ、この記事の筆者が言うのは、少々誇張があるとは思う。
全体像が描ける程度にコンピューター言語の文法とロジックを独学で身につけてほしい。APIに詳しくなれ。パイソンも少しかじっておけ。それだけ知って いれば、ほとんどの雇い主は十分だと思うだろう。少なくとも2つのプログラミング言語に詳しいと言えるようになったら、履歴書の送付を開始しよう。
APIは知っていたほうがいいかも。
HTMLとWebの関係とかは理解してないとまずい。
だけど、こうした知識は、「大学で習うべき知識」なのかどうか。
さらに「高校までで教えられるべき知識」なのかどうかについては、疑問がある。
今や高校では「情報」の授業というのがあるそうだから、学んでいるのだろうけど、できれば、そういう所では「哲学」が身につくようにして欲しい。
高校で学ぶべきは、「世界の本質」なのだと思う。
数学の描く完全な世界、歴史上の事実から見えてくる人類の共通性と地域間の相違、科学の持つ厳密さと再現性という考え方。
そこに盛り込まれる事実の羅列も大事ではないとは言わないが、その背景に流れる本質を学ぶのが高校までなのではないか。
大学は、専門の世界の入り口を体験し、深遠なる学問の世界を覗きこんで、真理に敬意を持つ人間になることが大事だし、サークルを含む人間関係の構築は欠かせない。
自分以外に多くのタイプの人間がいることを学ぶ(座学でも実際にも)のが高等教育なのではないだろうか。
だから、ビジネスに必要な「実用的な知識」は卒業後に学べばいいのではないかと思う。
その期間を経てから企業に入るか、企業内で研修として学ぶか。
もちろん、そういう時代じゃないときに企業に入った人たちも、学ばなければならない。
新人にばかり「知識」を求め、先に企業に入った人が「学ばなくてよい」というのは道理に合わない。
学んでいるかどうかで評価して、学んでいない先輩社員は出世できないというのがフェアというものだろう。
「企業において必要な知識」なのだから。
先に生まれたから「先生」なのだ、といった人がいたけど、先に生まれただけではなく先んじていてくれないと。
だから、新入社員は取れないね、という話ではなくて、採用基準がそう変わっている以上は、社内でも評価基準は新しくしないといけないし、新入社員以上の先輩社員ばかりの会社じゃないといけないのではないだろうか?
そうじゃないと、本当に優秀な新入社員は、先輩社員をナメルし、そんな企業は一刻も早く「卒業しよう」と思うだろう。
新入社員を育て、かつ先輩社員も学び続けられる企業であることが、優秀な企業で在り続けるには必要なのではないだろうか?
そうじゃないと、優秀な新人に先輩が取って代わられるか(それはそれでいいんだけど、そんな幸運はなかなか無い)、新人が定着しないブラック企業となって社員の平均年齢が上がり続けるか、いづれにしても先がある会社とはいえないと思います。
だから、こういう記事は、実は、書く側、採用する側の問題を忘れていることが気になるのですよ。
こういう本の最新版ってないんですかね?