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葬式でしかなされない会話がある

毎日キチンと発信することを課している人はえらいと思う。
まあ、誰も期待などしていないだろうけど、生きていることの証明に、
ブログの発信を続けている程度のことなのだけど、
このところブログが滞っていたのは、
伯父が亡くなって、その葬儀・告別式に出席することになり、しかも北海道から父親が出てきて、
その世話をしていたからなのである。

しかも、原稿書きをしなければならない仕事が重なり、締め切りと親の世話で余裕がなかった。

何とか昨日、親も帰り、穴だらけの原稿を書いて、今日、こうしてブログを書いている。

しかし、葬儀のあと親戚が集まって、だらだら話していると、
そういうときにしか聞くことの出来ない話(まあ、たいていどうでもいい話)があるものだ。

今回は、我が家のルーツの話が面白かった。

北海道の人間と言うのは、大体が祖父の代くらいに、
内地(本州以南の日本)から屯田兵とか入植とか
何らかの決意を持ってやってきた人の末裔なわけで、
我が家もご他聞にもれず、そうした入植者なわけだ。

しかも、父は樺太の生まれで引き上げてきているので、
祖父は北海道からさらに樺太に一旗揚げに行ったわけである。

そのルーツを良く知らなかった。

今回、父や叔父、いとこなどの話を総合すると、我が家は前田藩の商家の出で、
北海道の共和町辺りに集団で入植したらしい。
今でもその辺には前田という地名があり、その子孫が住んでいる。

祖父は、一度その辺に入植して、高松から北海道に越してきた祖母と結婚して、
長男が生まれた後に、樺太に行ったらしい。
樺太から妻と子供を呼んで、そのあとに生まれたのが、
今回亡くなった伯父さんと父、叔父と叔母ということのようだ。

樺太では開拓した分だけ自分の土地になった。
田畑の他に、山を切り開き製材所を作り、川一体を所有していた祖父一家は、
終戦ですべてを捨てて引き上げることになる。

出征していた長男が、北部樺太の前線で運よく生き延び、
樺太の山の中を家まで逃げ帰ってきたとか、
引き上げてきたあと、夕張炭鉱で働くことになる次男(今回亡くなった伯父)は、
二歳年をごまかして炭鉱に入ったとか、
こういう話は、葬式の後くらいしかしない話だなあ、と思いながら聞いていた。

人に歴史ありと言うが、身近に戦争に翻弄された人生があるとは、普段感じない。
それを聞き出すのも、何らかの形で残すのも、私たちの番のように思った。
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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