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不景気と嘆くより、チャンスだと思おう

病は気から。と言う言葉もある。
不況だといって下を向いていると、本当に不況になってしまう。

それくらいならば、株価や円の価格に一喜一憂するよりは、チャンスだと思うことにしよう。

緊急寄稿! 不景気とは空前絶後のチャンスタイム:Web担当者フォーラム
>米国サブプライムローン破綻の連鎖から世界同時株安となり、「世界恐慌」が来ると脅かす経済評論家も現れました。仮に世界恐慌となれば、私たち庶民に対抗する手だてはないので悲観しても仕方がありません、そして脅迫するほどのことはないだろうと楽観しています。第一、発言に責任を持たない「評論家」の言葉に右往左往してもくたびれるだけです。

そうだそうだ!

>必要以上に臆病になっていては好機を見逃します。報道はミリオネアの数字を引用して煽ります。街角に目をやるとミリオネアではない庶民は、世界恐慌が囁かれる中「H&M銀座店」の行列に並び消費を楽しんでいます。

まったくだ!

>不景気とは新しい取引先に出会うチャンスタイムなのです。


詳しくは記事を読んでいただきたいけど、こういう発想がこれから重要なんだと思う。

>♪今回のポイント

逆張りに商機アリ。

ダメと嘆くか、ダメに価値を見いだすかの違い。



こういう気持ちで行きませんか?
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小さく、小さく

夕べは、仕事もそこそこに家に帰って、プロフェッショナル:仕事の流儀を見た。
この記事で知ったからには、見ずにはいられない。

プロフェッショナル 柳家小三治:茂木健一郎クオリア日記
>そんな名人の一言ひとことに、
やっかいなこの世を生きていく
ための叡智を見る。


100人目のプロフェッショナルは落語家柳家小三冶

五代目小さんが「これからの柳家は、人柄は馬風で、技は小三冶でいっとくれ」といったと言う、
当代きっての名人。その小三冶が師匠小さんから言われたのは
>お前の噺(はなし)は面白くないねえ。

若手随一の技術を誇っていた小三冶が真打になる直前だったと言う。

そして、落語の面白さとは何かを追い求めている中で、伝説の名人、古今亭志ん生の言葉を聞く。
>「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」

その小三冶が、客を前にして「受けよう」「笑わせたい」と心が揺れるときにつぶやく言葉が
>「小さく小さく」

客は、そこにある落語家を見に来るのだと言う小三冶。

落語も好きな、この方は今日大舞台だと言うけれど、送りたいのはこの言葉。

「小さく、小さく」

それは、ブログでご自分で書いている
>ゆっくりな。ゆっくり。

と通じるものがある。やはり、わかっているんだなあ。さとなおさんは。

今回の放送で見ものだったのは、小三冶師匠が茂木さんに
>今まで覚えた落語は150くらい、今出来るのは30くらいでしょう。残りの120はどこへいったんでしょうね?

と質問する場面。茂木さんはあわてて強化学習の話しをした。すると

>先生はやはり脳の弁護をするね。

と一言。
「脳の弁護をする」というこの言葉に、茂木さんが虚を突かれた感じがした。
そこに、小三冶の着想の見事さ、落語家の発想の技を見た気がした。

いいコメントは、どんどんエントリへ

難波さんから、コメントへのエントリに対して、コメントをいただいたので、
さらにお返事をエントリで。

以下、太字は難波さんからのコメント。

コメントにたいして、エントリーをあげていただき、ありがとうございます。
サイエンス・カフェって、日本に入ってきたとき、海外でやっている人たちや海外でみてきた人たちは、日本では根付かないんじゃないの?と言っていました。
しかし、今や、たぶん、世界でも有数のサイエンス・カフェ大国になっているのではないかと思います。アメリカで開催される、大きな科学コミュニケーションの学会に行くと、そのように話しかけられますし、海外から、北大に、日本のサイエンス・カフェが現状について聞かせてほしいという問い合わせもあります。


日本は、サイエンスカフェ大国なんですか?
ブログも、今や、アメリカを抜いて日本が一位だそうですが、
日本人は発信好きではないか、という私の仮説はあたっているのでしょうか?

まあ、ブログは日記文学好きと言う歴史もある訳ですが、
サイエンスカフェ好きは、どこから来ているのか?

科学的な話題を街角で話のは江戸時代から実は好きなんですね日本人って。
床屋政談ではないですが、カフェというよりは居酒屋とか寄り合いとかの類いでしょうけど、
集まって、わいわい話すのは好きなんじゃないかと思います。

井戸端会議的な座談で、落語でも「世界をずっといくとどうなりやす」的な
ご隠居さんと街の衆の会話がありますよね。そういうことではないかと。

今、CoSTEPの修了生たちは、小樽や旭川で定期的にサイエンス・カフェを開催するようになっていますが、こちらも札幌同様、大変にぎわっていると聞いています。
北海道に関しては、最初に札幌でサイエンス・カフェをやったときに感じたそのまま、「みんな科学に飢えていたのでは!」と今も、思います。


最近、横グシ会の活動を通じて、
そういう北海道の地方都市でのサイエンスコミュニケーション活動をしている人と
知り合う機会があるのですが、にぎわっているのはいいんですけど、方法論に苦労しているような。

北海道の人は、「科学に飢えてる」じゃなくて、イベントに飢えてるんです、きっと。
高知のお祭りを持ってきちゃう(よさこいソーラン)人たちですから、
何でもいいんです。楽しめりゃ。海外のものでも、楽しめればこっちの勝ち。
こだわりとかはないんです。でも、飽きっぽいですから気をつけてください。
(道産子である自分を含めた分析です)


CoSTEPでは科学をコミュニケーションする「場の創造」実習のひとつとして、サイエンス・カフェを取りあげてやっていますが、与えられた「場=メディア」の中で、最善のインタラクティブなコミュニケーションを産むように、努力しています。
例えば今は、場所を無料で提供していただける、音響設備を用意してくださる、札幌駅前という交通の便が最高ということで、紀伊國屋さんでやっているわけですが、この場所で大体いつも集まってくる人が100人前後なわけです。
クローズドで、人数制限してもいいですが、われわれは、オープンにしておきたい。すると、100人でもできる最善を考え、工夫するわけです。


なるほど。東京駅前の丸ビルでやるようなもんですね。


受講生の中には、受講中や修了してから、もっと小さな場で自分の好みのスタイルでやっている人もいます。

そうみたいですね。


サイエンス・カフェのような、科学の話題に気軽に参加し、話題提供する科学者にも「楽しかった、ためになった」と言ってもらえる場をつくるのに、教条主義に陥るのはナンセンスだと思います。
それぞれのコミュニティーが、自分たちの街のサイズや、自分たちのチームの(あるいは個人の)リソースにあった、「場」をつくっていくことが、続けていくためにはいちばん大事なのではないでしょうか。


この「教条主義」は何をさしているのかなのですが、
これはカフェ、これは講演会、と名前付けして分類することを言ってますか?

うーん。KASOKENさんにも、ネーミングして受け手のイメージを固定しようとした方がいいと指摘すると「そういうのは嫌い」と言われましたが、どうも、概念をネーミングで固定化するのを嫌う人が多いようですね。

ネーミングとイメージの誘導は、概念の定着に取って重要だと思うんですが、
そのためにも、サイエンスカフェに代わる「サイエンスコミュニケーション集会」的なものをさす言葉を作った方が誤解が少ないと思うんですよ。
その上で、自分たちが何を目指すかを概念化した方がいいと思うんですね。

ちなみに「教条主義」とは
状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう。ドグマチズム。(Yahoo辞書)

ということで、固執せずに柔軟に進めればいいじゃないか、とおっしゃりたいのだとは思うのだけど、それはなんというのか、ということに固執する癖が私にはあるようです。
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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