福田首相の辞任記者会見を見ました。
最後は、逆切れ気味でしたね。
退き際は潔く美しく:MaaMingのときどきサイエンスカフェ
>できない自分を認めて退くことは、この激変する時代には極めて肝要なことではないか。国政であれ、何であれ。継続は力なりともいうが、努力もせずして周囲が迷惑するばかりの継続に益はありや?
嫌み半分とは言っても、相変わらずクールなおっしゃり方。
でもね、私じゃ審議が進まないだろうから、やめます。
というリーダーを持った組織は、これから、そのリーダーだった人のことをどう思うのだろうか。
なぜ、総理を辞めても議員を続けられるのだろうか。
福田さんは自分で言ったように「客観的に見ることができる」というのが最大の能力だったのでしょう。
そして、それは結局、自分が総理に向いていないことを自覚させたということなのか?
ゆっくり話し合う時間を持ったら離婚した夫婦みたいなもんだな。
自分で考えてなった訳ではなく、押されたからやってみたけど、やっぱり向いていなかった。
いや、誰が考えても向いてないんだから、最初からならなきゃ良かったんですよね。
それに気づくのに一年かかったと。
週末にちょっと時間が空いて、考えちゃったんでしょうね。
すると気づいちゃったと。
この1年は客観的になる暇もなかったのでしょうね。
皮肉です。
では、誰がなるのか。誰を押すべきなのか。
国民は、福田と違って客観的になってはいられない。
この国はどう続くのか。どういう国にするのか。ちゃんと考えてから総理になってくれる人を選びたい。
こういうときに、主観的に首相を選ぶ仕組みが欲しくなる。
あのアメリカのばか騒ぎを見た後でも。
「かみあわせ」見てきました
土曜日はいろいろ忙しく、午前中にゲラチェックして、その足で西荻窪へ。
西荻窪は、20年ほど前に住んでいたんですが、全然変わらないたたずまいで、
その中で店が変わっていたりして、やっぱり時間が経っていたんだなと思いました。
西荻窪駅を北側にバス通りを歩いてしばらく行くと、善福寺川に出ます。
橋を越えて、さらに行った左側に、「遊空間がざびい」がありました。
そこで、第1回公演「かみあわせ」を見てきました。

作・演出・出演の天之原冥慎さんは、中村まり子さんのパニック・シアターや、
三ツ矢雄二さんのアルターエゴで活躍されている若手俳優で、
今回は、仲間を集めて自作で挑戦です。
新宿のお店のマスターとのりちゃんが見に来ていたので、並んで観劇。
お隣のご夫婦が、冥慎さんのご両親でした。
題名の「かみあわせ」の説明がすでにネタバレなのですが、
まあ、今日までだからいいか。
かみは「神」で、歯並びが悪くて「噛み合わせ」が悪いとか言う話ではありません。
神と神を合わせて、奇跡を起こすわけです。
歴史好きの冥慎さんらしい設定。神主の格好(コスプレ)や狐踊りなど、自分の趣味満載でしたね。
ダンスに日舞の振り付けが混在して、どうみても冥慎さんだけ日舞だったという感じ。
古事記に則る、日本創世の伝説にでてくる「いざなぎ、いざなみの神話」の子供たち
ヒルコとアマテラスの関係を現代的な「生命観」にのせて、
「人間の命を大事に」と言うメッセージが語られています。
キーとなるヒルコの説明がもう少しきちんとあった方が良かったかもしれませんね。
昔「野獣降臨(のけものきたりて)」という舞台がありまして、
野田秀樹という人が書いたんですが、
そのなかに「ヒルコ」の話と「仏陀」の姿形の異常さの話が出てきます。
うまれてすぐに海に流されたヒルコと、海上難民を重ねあわせたり、
奇形や身体障害などへの差別と闘争の歴史などをスピーディな動きで魅せた遊眠社の代表作。
今は無い駒場小劇場で聞いた「ヒルコから人へ」という野田秀樹の台詞が今も耳に残っています。
そう言うスケールの大きさは今回の作品にはありませんでした。
それは作家の個性なので、いい悪いでは語れないこと。
ただ、無差別殺人や親の子殺しなど、あまりにも命を粗末に扱う事件が多いことへの、
作者の怒りははっきりと感じられました。
しかし、そこにあるのは社会への怒りというような主義主張ではなく、
もっと個人的で静かな世界への希望や信頼と、
それを崩すものへの小さな怒りを積み重ねた「声」。
個人の「声」をしっかりと積み重ねることで、社会を堅固なものにしていきたいと言う
真っ当な社会への希求というようなものでした。
>人間社会は、神が思うよりもつらいですよ。
>そうでなくては、限りある命を生きる意味がありません。
というような(正確じゃないかも)人間が生きることを良いことも辛いことも受け止める人生観。
若いのにねえ。やっぱり、おばあちゃんなのかも。
役者さんたちもきちんとつぼを押さえた演技で、何より声優の仕事が多い人たちのせいか、
劇団での指導のせいか、滑舌がよく、台詞がしっかりと聞こえました。
小さい劇団や若い人の芝居では、これが結構珍しいケースなのです。
基本ですけどね。
台詞がきちんと語られているから、ストーリーが見えてくる。
ストーリーが見えれば、少々の設定の異常さは消えてしまうのが芝居のいいところ。
泣かせる台詞が多く、家族とか愛とか、そう言うものを見直したくなる話でした。
演出は、どうして最初に踊りが入るのかとか(キャラメルボックスとか、第三舞台とか、80年代以降のポストアングラ世代以降には、多い演出なんですがね)。
なんで、大黒天なのかとか。まあ、考えればいろいろありますが、
三ツ矢さんの演出、まり子さんの演出から学んだんだなあと思うところが見えました。
偉い。
ぜひまた、作品を見たいですね。
西荻窪は、20年ほど前に住んでいたんですが、全然変わらないたたずまいで、
その中で店が変わっていたりして、やっぱり時間が経っていたんだなと思いました。
西荻窪駅を北側にバス通りを歩いてしばらく行くと、善福寺川に出ます。
橋を越えて、さらに行った左側に、「遊空間がざびい」がありました。
そこで、第1回公演「かみあわせ」を見てきました。

作・演出・出演の天之原冥慎さんは、中村まり子さんのパニック・シアターや、
三ツ矢雄二さんのアルターエゴで活躍されている若手俳優で、
今回は、仲間を集めて自作で挑戦です。
新宿のお店のマスターとのりちゃんが見に来ていたので、並んで観劇。
お隣のご夫婦が、冥慎さんのご両親でした。
題名の「かみあわせ」の説明がすでにネタバレなのですが、
まあ、今日までだからいいか。
かみは「神」で、歯並びが悪くて「噛み合わせ」が悪いとか言う話ではありません。
神と神を合わせて、奇跡を起こすわけです。
歴史好きの冥慎さんらしい設定。神主の格好(コスプレ)や狐踊りなど、自分の趣味満載でしたね。
ダンスに日舞の振り付けが混在して、どうみても冥慎さんだけ日舞だったという感じ。
古事記に則る、日本創世の伝説にでてくる「いざなぎ、いざなみの神話」の子供たち
ヒルコとアマテラスの関係を現代的な「生命観」にのせて、
「人間の命を大事に」と言うメッセージが語られています。
キーとなるヒルコの説明がもう少しきちんとあった方が良かったかもしれませんね。
昔「野獣降臨(のけものきたりて)」という舞台がありまして、
野田秀樹という人が書いたんですが、
そのなかに「ヒルコ」の話と「仏陀」の姿形の異常さの話が出てきます。
うまれてすぐに海に流されたヒルコと、海上難民を重ねあわせたり、
奇形や身体障害などへの差別と闘争の歴史などをスピーディな動きで魅せた遊眠社の代表作。
今は無い駒場小劇場で聞いた「ヒルコから人へ」という野田秀樹の台詞が今も耳に残っています。
そう言うスケールの大きさは今回の作品にはありませんでした。
それは作家の個性なので、いい悪いでは語れないこと。
ただ、無差別殺人や親の子殺しなど、あまりにも命を粗末に扱う事件が多いことへの、
作者の怒りははっきりと感じられました。
しかし、そこにあるのは社会への怒りというような主義主張ではなく、
もっと個人的で静かな世界への希望や信頼と、
それを崩すものへの小さな怒りを積み重ねた「声」。
個人の「声」をしっかりと積み重ねることで、社会を堅固なものにしていきたいと言う
真っ当な社会への希求というようなものでした。
>人間社会は、神が思うよりもつらいですよ。
>そうでなくては、限りある命を生きる意味がありません。
というような(正確じゃないかも)人間が生きることを良いことも辛いことも受け止める人生観。
若いのにねえ。やっぱり、おばあちゃんなのかも。
役者さんたちもきちんとつぼを押さえた演技で、何より声優の仕事が多い人たちのせいか、
劇団での指導のせいか、滑舌がよく、台詞がしっかりと聞こえました。
小さい劇団や若い人の芝居では、これが結構珍しいケースなのです。
基本ですけどね。
台詞がきちんと語られているから、ストーリーが見えてくる。
ストーリーが見えれば、少々の設定の異常さは消えてしまうのが芝居のいいところ。
泣かせる台詞が多く、家族とか愛とか、そう言うものを見直したくなる話でした。
演出は、どうして最初に踊りが入るのかとか(キャラメルボックスとか、第三舞台とか、80年代以降のポストアングラ世代以降には、多い演出なんですがね)。
なんで、大黒天なのかとか。まあ、考えればいろいろありますが、
三ツ矢さんの演出、まり子さんの演出から学んだんだなあと思うところが見えました。
偉い。
ぜひまた、作品を見たいですね。
集める、並べる、繰り返す:THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン
涼しいですね。こんな日は銀座も歩きやすい。
ギンザグラフィックギャラリー第266回企画展
NOW UPDATING…
を見てきました。
ユニクロのウェブサイト他で話題の中村勇吾と彼のスタジオTHAの作品群の展示でした。
会場は1階と地下1階で、1階は、ユニクロやサムライ、ソフトバンクのサイトなどの紹介。
大型の液晶ディスプレイを縦型において、彼のサイトの特徴でもある膨大な量を有する画面を
スクロールせずに見せてくれます。
地下は、まさに、インタラクティブデザインの実験場。
これまでに発表している各種クロック(時計)を時報とともに同期させたり、
別々に動かしたりとアート展示のような空間になっていました。
なんとなく共通しているのは、用意した情報ではなくネットワーク上にある情報を
あるAPIを使って集めてきて、それを画面表示させるために「ある規則」に沿って並べなおす、
と言う手法。そして、それを無限に思えるほど膨大な繰り返しが可能な組み合わせで見せる。
そして、その組み合わせ方に、画面を見ている人に関係のある手法を持ち込む。
直接「いじれる」「選べる」「動かせる」など、インタラクティブになるわけだ。
クロックになるものが多いのはなぜだろうかと考える。
ひょっとすると、マシン環境による誤差が少ないからだろうか。
見ている環境によって、速度が違ったりする画像やアニメーションよりも、
世界共通の基準である「時計」で管理することで、
世界中どのマシンでも同じスピードで作品を見ることになる。
それを保障することで、読者の体験をコントロールすることが出来るからなのではないか。
コンピュータ上で別々に進む「時間」と言うのはありえないから、
そこに基準を合わせると世界共通の感覚が得られる。
そんなことを考えた。
会期:2008年8月5日(火)− 8月28日(木)
日曜・祝祭日休館 11:00a.m.−7:00p.m.(土曜日は6:00p.m.まで) 入場無料
中村勇吾のサイト
THAのサイト
THAが運営しているイメージブックマークサービス「FFFFOUND!」
ギンザグラフィックギャラリー第266回企画展
NOW UPDATING…
を見てきました。
ユニクロのウェブサイト他で話題の中村勇吾と彼のスタジオTHAの作品群の展示でした。
会場は1階と地下1階で、1階は、ユニクロやサムライ、ソフトバンクのサイトなどの紹介。
大型の液晶ディスプレイを縦型において、彼のサイトの特徴でもある膨大な量を有する画面を
スクロールせずに見せてくれます。
地下は、まさに、インタラクティブデザインの実験場。
これまでに発表している各種クロック(時計)を時報とともに同期させたり、
別々に動かしたりとアート展示のような空間になっていました。
なんとなく共通しているのは、用意した情報ではなくネットワーク上にある情報を
あるAPIを使って集めてきて、それを画面表示させるために「ある規則」に沿って並べなおす、
と言う手法。そして、それを無限に思えるほど膨大な繰り返しが可能な組み合わせで見せる。
そして、その組み合わせ方に、画面を見ている人に関係のある手法を持ち込む。
直接「いじれる」「選べる」「動かせる」など、インタラクティブになるわけだ。
クロックになるものが多いのはなぜだろうかと考える。
ひょっとすると、マシン環境による誤差が少ないからだろうか。
見ている環境によって、速度が違ったりする画像やアニメーションよりも、
世界共通の基準である「時計」で管理することで、
世界中どのマシンでも同じスピードで作品を見ることになる。
それを保障することで、読者の体験をコントロールすることが出来るからなのではないか。
コンピュータ上で別々に進む「時間」と言うのはありえないから、
そこに基準を合わせると世界共通の感覚が得られる。
そんなことを考えた。
会期:2008年8月5日(火)− 8月28日(木)
日曜・祝祭日休館 11:00a.m.−7:00p.m.(土曜日は6:00p.m.まで) 入場無料
中村勇吾のサイト
THAのサイト
THAが運営しているイメージブックマークサービス「FFFFOUND!」
BARAKA:ドキュメンタリーで楽しめない自分
ドキュメタリー映画:BARAKAのDVDを借りていて、
今日、やっと見ることができました。
どうにも、ドキュメンタリーをじっくりと見るという気分に慣れず、
置いてあったのですが、思い切ってみてみました。
やはり、今の私の気分では、ドキュメンタリーを心の中にとどめておけないようです。
どうしても、どこかで見たという思いと、
(まあ、実際に行ったことがある場所もあるし、これまでにテレビで見た場所もあるわけですけど)
これを見てどうするんだ、という苛つきが生じてしまう。
Baraka : 24カ国の空間をつなぐドキュメンタリー:Goodpic.com
>ドキュメンタリー映画「Baraka」が見せてくれるのは、空間と一体化した体験としてのイメージ。6大陸24カ国で撮影されたシーンが、次々と目の前を通り過ぎる。月に輝くアンコールワット、バリのケチャダンスで陶酔する歌い手、アフリカの草原、日本の満員電車、皆既日食、禅、ニューヨークを流れるタクシー、ガンジス川の沐浴、嘆きの壁、メッカ巡礼。
素晴らしい映像の数々、よく撮ったなと思うようなシーン、
なるほどこう見えるのかと思う東京の日常。
でも、どうしても、未知の国のはずがいつか見た風景に思えるのと、
現代の映像が古くなること(特に東京は)で、どこかで記憶として消化されてしまう。
素晴らしい景色も、記憶として消化されたり、記録として消費されてしまったりする。
その自分の感覚に自分のことながら驚く。
ケチャは、どう見てもこの撮影用に振り付けされたものだし、
だいたいボロブドールみたいな場所の前(宗教的に建造物が違う)でやってるし、
なんだか音楽と振りがおかしい。
切り取られた自然も、なんだか書き割りのように見えて、美しいのだけど迫ってこない。
音楽も感傷をかき立てなかった。
さらに言うと、だんだん時間軸に苛立って、早送りで見てしまった。
自分が病んでいるのもわかるのだけど、やはり手法が古いように思う。
客観視してはいけないものばかりだから、映像が客観的だと苛立つのだ。
同じように世界中を回るのならば、前に紹介したこちらの方が、私には良かった。
世界中で踊る男になんだかじんわり
>二枚目でもスタイルがいいわけでもない、一人のアメリカ人の兄ちゃんが、
世界中で、へたくそな踊りを踊っている、というだけのビデオです。
「Where the Hell is Matt?」と、その2008年版、「Where the Hell is Matt? (2008)」
>つまり、Strideというチューインガム会社のスポンサードビデオなんだそうです。
だから、高邁でもないし、ドキュメンタリー映画でもない。
でも、何だろう、世界と関わろうとしているやり方が、現代的なんだな。
だからといって、BARAKAの世界がおとしめられる理由は何も無い。
単に、私の感覚なので、ぜひ、この際見てから、私の話を判断してほしい。
Baraka - a film by Ron Fricke
こちらに、BARAKAの詳しい情報があります。英語ですけど。
You Tubeでお試し版があった。
お求めは、こちらから。
今日、やっと見ることができました。
どうにも、ドキュメンタリーをじっくりと見るという気分に慣れず、
置いてあったのですが、思い切ってみてみました。
やはり、今の私の気分では、ドキュメンタリーを心の中にとどめておけないようです。
どうしても、どこかで見たという思いと、
(まあ、実際に行ったことがある場所もあるし、これまでにテレビで見た場所もあるわけですけど)
これを見てどうするんだ、という苛つきが生じてしまう。
Baraka : 24カ国の空間をつなぐドキュメンタリー:Goodpic.com
>ドキュメンタリー映画「Baraka」が見せてくれるのは、空間と一体化した体験としてのイメージ。6大陸24カ国で撮影されたシーンが、次々と目の前を通り過ぎる。月に輝くアンコールワット、バリのケチャダンスで陶酔する歌い手、アフリカの草原、日本の満員電車、皆既日食、禅、ニューヨークを流れるタクシー、ガンジス川の沐浴、嘆きの壁、メッカ巡礼。
素晴らしい映像の数々、よく撮ったなと思うようなシーン、
なるほどこう見えるのかと思う東京の日常。
でも、どうしても、未知の国のはずがいつか見た風景に思えるのと、
現代の映像が古くなること(特に東京は)で、どこかで記憶として消化されてしまう。
素晴らしい景色も、記憶として消化されたり、記録として消費されてしまったりする。
その自分の感覚に自分のことながら驚く。
ケチャは、どう見てもこの撮影用に振り付けされたものだし、
だいたいボロブドールみたいな場所の前(宗教的に建造物が違う)でやってるし、
なんだか音楽と振りがおかしい。
切り取られた自然も、なんだか書き割りのように見えて、美しいのだけど迫ってこない。
音楽も感傷をかき立てなかった。
さらに言うと、だんだん時間軸に苛立って、早送りで見てしまった。
自分が病んでいるのもわかるのだけど、やはり手法が古いように思う。
客観視してはいけないものばかりだから、映像が客観的だと苛立つのだ。
同じように世界中を回るのならば、前に紹介したこちらの方が、私には良かった。
世界中で踊る男になんだかじんわり
>二枚目でもスタイルがいいわけでもない、一人のアメリカ人の兄ちゃんが、
世界中で、へたくそな踊りを踊っている、というだけのビデオです。
「Where the Hell is Matt?」と、その2008年版、「Where the Hell is Matt? (2008)」
>つまり、Strideというチューインガム会社のスポンサードビデオなんだそうです。
だから、高邁でもないし、ドキュメンタリー映画でもない。
でも、何だろう、世界と関わろうとしているやり方が、現代的なんだな。
だからといって、BARAKAの世界がおとしめられる理由は何も無い。
単に、私の感覚なので、ぜひ、この際見てから、私の話を判断してほしい。
Baraka - a film by Ron Fricke
こちらに、BARAKAの詳しい情報があります。英語ですけど。
You Tubeでお試し版があった。
お求めは、こちらから。
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音楽と演劇の違い:続き
「音楽と演劇の違い」何ぞというえらそうなタイトルで、言葉足らずなことを書いたので、
反省して、続きを書く。
まず、前提として「音楽」と「演劇」というような、大きなくくりでの違いではなく、
「その日聴いた音楽」と、「私の好きな演劇」の違い、というような卑近な話だということで。
音楽に大事なのは、声と曲のオリジナリティだと思ってる。
歌い手にとって絶対に必要なのは「声のオリジナリティ」で、
聴いた瞬間にその人だとわかる声、というのが歌手の第一基準で、似たような声ではあかん。
曲については、オリジナリティというのが大事だというのはわかりやすい話だけど、
声のオリジナリティというのは、実は、演劇でもお笑いでも、結構重要なんだな。
響きのいい声というのはそれだけで財産だし、
訓練でできることと、生まれ持ってのものがあるけど、やっぱり最後は声。
舞台人の場合、年齢が声に追いつくと仕事が広がる。
声優というのとはまた別の話ですけどね。まず、音から入る職業は声でしょう。
同じ曲でも、別の人が歌うと別の世界が見えるということもある。
それは歌い方もあるけど、やっぱり声なんじゃないかなと思うのだが。
その上で、曲だよね。曲というと、歌詞とメロディ(さらに編曲もあるけど、それは難しい)。
やっぱり、歌詞で世界観を作ってほしいと思ってしまう。
日本人は、1000年以上にわたって、歌詞(唱、詩)の世界の基調が「恋愛」と「自己憐憫」という
小さい世界を好みとしてきた。それを小説という。
では、ヨーロッパはというと、歴史とか教訓とか「大きな話」が好き。
だから、小説はずいぶんあとになってから生まれる。
その間くらいに「演劇」が出てくる。ギリシャ悲劇なんぞという、個人と歴史が絡んだ話がある。
で、私は、演劇好きだからかもしれないけど、詩でもひとつの世界を見せてほしいんだな。
舞台の上に、声と楽器だけで地平線が見えたり、悲しみが広がったり、希望が灯されたり、
そういうのがライブのよさではないかと思うんだ。
この間のライブハウスでは、それが見えなかった。
3番目のお姉さんの曲も詩もいいのだけど、声がもったいない。
あと二音高い所までファルセットではなく出せれば、もっとはっきりと世界が広がるのに。
2番目のお兄さんは、声がいいとは思うけど、あのルックスであの声で、あの詩とメロディで、
何がやりたいのか、私にはさっぱりわからなかった。
何をぶつけたいのか、人に伝えたいのか? 一人で満足していてほしい。
1番目にやった千春には、今度個人的に。
演劇も最近、本当に見るものが偏っているんだけど、
今の風潮を変えようとか、この時間だけでも吹き飛ばそうとか、
そう考えている人のものにしか行かないようにしている。
時間と費用の無駄だから。
そうじゃないと、閉塞しているのは、お前だけじゃないんだよ、って言いたくなる。
金払って、時間使って、お前の悩みを聞かされても困るんだよ。
こっちの憂さを晴らしておくれよ。
せめて、ああ楽しかったと言わせておくれよ。
そのサービス精神が、舞台には大事なんじゃないかな。
池尻大橋「CHAD」でライブを見た(訂正しました)
このライブには、それがあったよ。(音楽という言葉で一緒にするなと、怒られそうだな)
だから、音楽とか演劇という問題ではなく、
サービス精神があるかないか、なのかも知れないけどね。
反省して、続きを書く。
まず、前提として「音楽」と「演劇」というような、大きなくくりでの違いではなく、
「その日聴いた音楽」と、「私の好きな演劇」の違い、というような卑近な話だということで。
音楽に大事なのは、声と曲のオリジナリティだと思ってる。
歌い手にとって絶対に必要なのは「声のオリジナリティ」で、
聴いた瞬間にその人だとわかる声、というのが歌手の第一基準で、似たような声ではあかん。
曲については、オリジナリティというのが大事だというのはわかりやすい話だけど、
声のオリジナリティというのは、実は、演劇でもお笑いでも、結構重要なんだな。
響きのいい声というのはそれだけで財産だし、
訓練でできることと、生まれ持ってのものがあるけど、やっぱり最後は声。
舞台人の場合、年齢が声に追いつくと仕事が広がる。
声優というのとはまた別の話ですけどね。まず、音から入る職業は声でしょう。
同じ曲でも、別の人が歌うと別の世界が見えるということもある。
それは歌い方もあるけど、やっぱり声なんじゃないかなと思うのだが。
その上で、曲だよね。曲というと、歌詞とメロディ(さらに編曲もあるけど、それは難しい)。
やっぱり、歌詞で世界観を作ってほしいと思ってしまう。
日本人は、1000年以上にわたって、歌詞(唱、詩)の世界の基調が「恋愛」と「自己憐憫」という
小さい世界を好みとしてきた。それを小説という。
では、ヨーロッパはというと、歴史とか教訓とか「大きな話」が好き。
だから、小説はずいぶんあとになってから生まれる。
その間くらいに「演劇」が出てくる。ギリシャ悲劇なんぞという、個人と歴史が絡んだ話がある。
で、私は、演劇好きだからかもしれないけど、詩でもひとつの世界を見せてほしいんだな。
舞台の上に、声と楽器だけで地平線が見えたり、悲しみが広がったり、希望が灯されたり、
そういうのがライブのよさではないかと思うんだ。
この間のライブハウスでは、それが見えなかった。
3番目のお姉さんの曲も詩もいいのだけど、声がもったいない。
あと二音高い所までファルセットではなく出せれば、もっとはっきりと世界が広がるのに。
2番目のお兄さんは、声がいいとは思うけど、あのルックスであの声で、あの詩とメロディで、
何がやりたいのか、私にはさっぱりわからなかった。
何をぶつけたいのか、人に伝えたいのか? 一人で満足していてほしい。
1番目にやった千春には、今度個人的に。
演劇も最近、本当に見るものが偏っているんだけど、
今の風潮を変えようとか、この時間だけでも吹き飛ばそうとか、
そう考えている人のものにしか行かないようにしている。
時間と費用の無駄だから。
そうじゃないと、閉塞しているのは、お前だけじゃないんだよ、って言いたくなる。
金払って、時間使って、お前の悩みを聞かされても困るんだよ。
こっちの憂さを晴らしておくれよ。
せめて、ああ楽しかったと言わせておくれよ。
そのサービス精神が、舞台には大事なんじゃないかな。
池尻大橋「CHAD」でライブを見た(訂正しました)
このライブには、それがあったよ。(音楽という言葉で一緒にするなと、怒られそうだな)
だから、音楽とか演劇という問題ではなく、
サービス精神があるかないか、なのかも知れないけどね。















凄みもあるし(笑)salaサイエンスコミュニケーションとキャラクタービジネスそのてがあるかなるほど、そこですね。若だんなat新宿サイエンスコミュニケーションとキャラクタービジネスファンレターまずはTOMOTOMOさんにファンレターを送ってみては如何?K_TachibanaGoogle Chromeを入れてみましたそうですね私も、グーグルリーダーで全文読んでいるブログは多いなあ。
そうか、もっとたくさんの人が読んでいるかもしれないんですね。
ちょっと気を良くしてがんばります。若だんなat新宿Google Chromeを入れてみましたNo title7割のお仲間がいてよかったです。
7割の読者が重い思いして読んでいたんですね。
禁止だそうです、うう~っ(T.T)
ブッ、ブラウザーに頼らずとも、
若だんなさんのブロshutoGoogle Chromeを入れてみましたえーすいません。IE禁止でいいです(笑)
撲滅したいので。若だんなat新宿